サンボマスター@LIQUID ROOM ebisu

駄目だった。残念だが、今のサンボマスターは自分には合わないらしい。
一時期よりも演奏はしっかりしていたけれど、やはり歌の半分近くが客への語りかけ・叫びになっているのが個人的には受け入れられない。せっかくあれだけの美しいメロディーと素晴らしい歌詞が書けるのに、何故それを放棄してしまうんだろう。「CDの通り聞きたいのであればライブに行かずにCDを聞いていればいいじゃないか」という意見もあるだろう。確かに今のサンボマスターのライブは(良く言えば)即興色が強く、オリジナルの歌詞通りに歌われないことが殆どだ。だけど元々はそういうバンドじゃなかったんだよ。即興の弾き語りは曲の前口上としてあったけれど、肝心の曲は丁寧に歌い上げられることが多かった。そこが凄く好きだったんだ。

なんであんなにも「歌おうぜ、歌おうぜ」「踊ろうぜ、踊ろうぜ」と曲中に呼びかけるんだろう。「見方は自由だから。前に来て暴れなくたっていいんだから」と言うくせに、最近はやたらと歌え踊れと繰り返す。曲のイントロでは常にOiコールのような掛け声を扇動する。別に大合唱が嫌な訳ではない。「そのぬくもりに用がある」で初めて合唱が起きた時のことはよく覚えている。グッときた。歌いたい人は歌えばいいし、踊りたい人は踊ればいい。ただひたすらにサンボが自分たちの楽曲を鳴らせば、観客それぞれが好きなようにリアクションを取るはずだ。それでいいじゃないか。「歌おうぜ」なんて言われなくたって歌いたい奴は歌うんだ。だからそんなことを言う暇があれば、その分少しでも多くの素晴らしいメロディーを聞かせてはくれないだろうか。「今日は来てくれてありがとう、ありがとう」なんて曲中に言わなくてもいいよ。今までだったら普通に山口が歌を歌っていてくれれば、それが伝わってたんだから。言い方悪いけど、ちょっと客を舐めすぎじゃないか?とすら思う。

やっぱり背負い込みすぎなんじゃないかなあ。2ndアルバム前後のライブでやたらと連呼していた「リストカットの少女を救いたい」という下りとか、前述のような「歌えや踊れ」という煽り、少し啓蒙的すぎる。

そのぬくもりに用がある」の音源を久々に聞いた。「ただただ音楽だけのために生きる男」という語りに反応してしまう。今のサンボは音楽以外のところに寄り過ぎているんじゃないか。

ただ、今までは実際にやっている曲とそういったMCが余りにも剥離していたのが違和感の1つでもあったんだけど、新曲の「戦争と僕」くらいまで言ってくれるのであればそれはそれで納得できる。今日のライブで唯一目を見張ったのが「戦争と僕」のギターソロだった。(曲的にはソウル色が薄いのが残念だが)

しかしせっかく新譜の発売を控えてのライブなのに、今までと殆ど変わらない流れのセットリストだったのにはかなり落胆した。年始のライブではぬくもりを序盤・中盤にやっていたそうなので、ちょっと変化させてきているんだなと思っていたのに。

アンコールのだらだらした感じの雰囲気は凄く好き。メンバー同士の掛け合いがダチョウ倶楽部のようだった(笑)。やっぱり俺はあれくらいのいい加減な感じのサンボが好きだ。

でも「朝」を「春」に変えて歌うのはちょっとなあ。「朝」と「春」じゃまるで別物だよ。日々訪れるものと、一年の4分の1では。「春になって桜が咲く」のと「朝になってあなたと逢う」のじゃ、切実さが全然違う気がする。


しかし実際のところフロアは大盛り上がりで、殆どの人が笑顔を浮かべ大満足しているであろうライブを、常にこうやって違和感を抱きながら見ているのはどう考えても不健康だ。いまやサンボのチケットはプラチナチケットでもあるし、こんなことならやっぱり今後は見ない方がいいんだろうなと思う。決してバンドの調子が悪いとかそういう訳ではないからね。「次行けばいいライブが見れるはずだ」とかそういう話ではないんだから。